死というものは酷く滑稽で、
…だからこそ憧れだった。
それでも自分の身に起きたことはどうしようもなくつまらないモノだったと覚えている。
そして、私は還ってきた。
久し振りに地に足をつける感覚。
今の自分を動かしているのは綾里千尋に対する執念のみ。
それでも久々の『現実』は、それまでどうでも良いと思っていた全てを鮮やかに彩った。
髪の毛を結い直して、あまり進んで被りたくないような頭巾を被り誰にも見つからないように古ぼけた寺を後にする。
寒さが身に染みたがそんなことも気にならないほど気分がいい。
思わず口元が上がる。
…もう、誰も私を止められないでしょう?
嫌な思い出しかない呪われた橋を渡り、奥の院と呼ばれるこれまた古ぼけた小屋に入ると気楽に笑う標的が目に入った。
毘忌尼とか言うふざけた名前の住職と会話して(勿論トロい妹だと思ってくれた)、綾里真宵に笑いかける。
…後ろ手に小刀を握り締めて。
そこからはあまり記憶がはっきりしていない。
もしかしたら私も必死だったのではないか、と思う。
情けない話だけど、有り得なくはない。
記憶にこびりつくのは、綾里真宵の怯えた目。
そして自分の腹から流れる生暖かい血の感触と、記憶が途切れたという感覚だけ。
…次に覚えているのは、閉じ込められている自分。
あれだけ惨めな思いをしたのは成歩堂龍一の裁判の日以来だった。
必死に忌々しい錠を開ける。結果的には開いたのに、既に煩い奴らが群がっていた。
情けない、と自分を嘲る。ここまで成り下がったか、と。
ガタン、と地面が大きく揺れた。
思わず息を呑んだが、地震という自然現象ももう関係ないと思い直し身体を動かそうとはしなかった。
揺れが小さくなったとき、修験洞の入り口に人の気配を感じてそっと覗いてみる。
そこに居る人物を見て、私は始めて神をいう存在に感謝した。
「あやめ…?」
幼い頃から変わらない、私と同じ顔なのに何故か人を惹きつける彼女。
閉じ込められている姿を見られたくなくて、からくり錠を外して外に出る。
「お姉さま!」
「久しぶりね。何しに来たの?笑いに来たのかしら?」
「先ほどの地震で随分と揺れたものですから、奥の院が気になって…」
「相変わらず甘いことを言うのね。馬鹿みたい」
私の罵る言葉も聞こえていないように、妹は苦々しい表情をしている。
何秒かの空白の後、妹が重々しく口を開いた。
「お姉さま、…あの方がいらっしゃいました」
「あの方?」
「成歩堂龍一さまです」
一瞬、この子は何を言っているのだろうと考えてしまった。
……成歩堂龍一?
「なんで…っ」
「修験者さまとは元々お知り合いだったようで、ご一緒にいらっしゃいました」
真っ直ぐに見つめてくる瞳は嘘をついているようには見えず(そして嘘をつくような子ではなく)、思わず声が震えた。
「あいつが…っ!あの男が!」
「成歩堂さんは必死に修験者さま…綾里真宵さまの無事を祈っています。お姉さま、真宵さまは…?まさか…」
「知らないわ。少なくとも、私は殺していないもの」
見当たらないし、自殺したんじゃない?と口の中だけで言う。
それを知らないあやめは本気で安心したように、安堵の溜め息をついた。
「ねぇ、あやめ。良かったら少しの間代わってくれないかしら」
「お姉さまと…?」
「えぇ。あんな男と一緒に居て疲れたでしょう。私もここから出たいし、代わってくれない?」
少し躊躇うような仕草をしてから妹は頷く。
…六年も経ったのに、ちっとも変わっていない彼女に自然と侮蔑の笑みがこぼれた。
「…分かりました。ですが、」
「『成歩堂龍一には手を出すな』でしょ?アナタの大切な人だものね」
こくりと頷く妹に無償に腹が立って、思い切り歯を噛み締める。
多分、この子は気付いていない。
今、自分がどんな表情をしているのかを。
「あやめ、時間がそろそろ危ないわ。中に入ってくれない?」
「はい」
妹が修験洞に入った後、からくり錠を五つに増やす。
この妹が勝手に出ようとするとは思えないが、念の為。
「それじゃあ宜しくね」
「お姉さまも、お気を付けて」
私なんかの心配をして、修験洞の奥へと向かう彼女の後ろ姿を見送る。
相変わらず、純粋を纏ったような彼女を羨ましいとは思わない。
ただ自分が妹のように逃げることを知っていれば、少しは違う未来を手にすることが出来たのかもしれないと思う。
そして、あの子になりきるのは簡単。
他人に接するときの『美柳ちなみ』の態度は、妹そのものだったから。
大丈夫、出来るわ。
一つ小さく溜め息を吐いて、妹の表情を真似するために顎を引いて目元を下げる。
真剣な表情を作って、最後に一回深呼吸。
…さぁ、リュウちゃん。
いつでもいらっしゃい。
(2007.07.16)