忘れてはいけない。
遠い昔と言える今になっても、絶対に。
<愛を夢見る人形>
「あれから六年後。…想像もしなかったくらい、今の私は幸せです」
ずっと夢見てきたこと。
ずっと欲しかったもの。
ずっと愛しかったひと。
今、あやめの右手は彼の左手に包まれている。
「大学でのあの事件から葉桜院でリュウちゃんに御逢いするまで、ずっと後悔していました。私があなたに惹かれなければ、誰も不幸にはならなかったのに、と」
数えられないほど何度も後悔した。
どこで何を間違えたのか、あるいは自分の気持ちを素直に言えば良かったのか。
自問自答しようとしても、答えなど出なかったけれど。
「それは違うよ」
優しく否定されて、目線を右斜め上に上げる。
成歩堂の目線と交わって、鼓動が大きく跳ね上がった。
「あやめさんは優しすぎるから。例えぼくを嫌っていても、ぼくが不快に感じることはしないだろ?」
笑いかけられて思わず頬が緩む。
表情を曇らせたあやめは、首を大きく横に振った。
「それは、……肯定出来ません。私はリュウちゃんほど優しくありませんから。でも」
成歩堂は微動だにせず、彼女の言葉に耳を傾ける。
あやめは静かに彼の肩に頭を預けた。
「ひとつだけ、訂正します。私は何回生まれ変わっても、相手があなたなら幾度となく恋に落ちるでしょう」
「ぼくで良いの?」
間髪入れずに返ってきたその疑問に思わず吹き出すと、肯定の返事をする。
「えぇ。私が夢見る対象は、ずっとあなたでしたから」
彼は照れたように手で口を覆うと、その下でもごもごと話し出した。
「そんなこと言ってもらう資格なんてあるのかな。今までずっと、大学時代はもう過去だと言い聞かせてきたのに」
「本来なら資格が無いのは私なのです。あなたを苦しめ続けていたのですから」
意識せずに唇を噛み締める。あやめにとって、成歩堂にとって苦い経験。
「まぁ、結果論としては一番良かったんじゃないかな。それに、付き合っていたのが美柳ちなみさんだったらあそこまで惹かれなかったと思うよ」
「お姉さま、だったら…?」
「うん。あやめさんだったから、だと思う。本当に幸せだったんだ」
そう言って優しく微笑む。
成歩堂の言葉にあやめは息を飲み、数秒後にゆっくりと口を開いた。
「……ずっと、小さい頃からお姉さまの後を追い掛けてきたの。私はそれで構わなかったし、お姉さまの操り人形で当然だと思っていた。…あなたに逢うまでは」
「ぼく?」
あやめは小さく頷くとそのまま続ける。
「初めて、だったんです。初めて愛しいと思った。初めて、…お姉さまの操り人形はいやだと思ったの」
成歩堂は静かに彼女の言葉に聞き入る。心なしか、手を握る力だけは強くなった。
「でも、あなたが呼ぶ名前はお姉さまのもので…。幸せを感じるたびに虚しくなって。だけど、違ったんですね…。あなたは私を通してお姉さまを見ているわけじゃなかった」
泣き崩れるあやめの肩を抱いて、成歩堂はもう一度言う。
「ぼくは、あやめさんだから好きになった。あやめさんだから、今まで信じてきたんだよ」
それは夢を見ているのではないかと疑ってしまうほど、綺麗な言葉だった。
あやめの心を救い出すには、十分すぎる言葉。
もう何も言葉にならず、彼女は一頻りの礼を彼に言って最後に呟いた。
「愛するって、こういうことなのですね」
夢で愛を掴もうとする夜に、さよならを告げて。
fin.
(2007.05.29)