<心は切り離してゴミにポイ>
4月12日。
新聞の片隅に小さく載ったニュース。
『勇盟大学で殺人事件。犯人逮捕』
葉桜院の自室でこの記事を見つけたあやめは思わず絶句した。
載っている記事を何度見直しても書いてある名前が変わることはなく、ただ事実として文字が綴られているだけ。
あまりにも衝撃が大きく、長い時間放心していたのか朝食に遅刻してしまった。
「あらあら、あやめが遅刻なんて珍しいわねぇ」
住職の毘忌尼に言われても、何と返して良いのか判らず曖昧に笑うことしか出来ない。
毘忌尼もただならぬ雰囲気を感じたらしく、いつものように頬を揺らしながらあやめを励ました。
「ほらほら、うちの看板娘がそんな顔しちゃダメ。ビキニ特製の御味噌汁でも飲んで元気出しなさい」
「……ありがとうございます」
「それでもつらかったら言ってみなさい?一応母親なんだからね」
毘忌尼の優しさにはっとして思わず頷く。
遠慮せずに、そのまま口を開いた。
「大切な人を失いました。全部私のせいだったんです。私がしっかりしていればこんなことにはならなかったのに…」
お姉さまも、リュウちゃんも。
記事に成歩堂龍一という名前は無かったが、あやめには確信があった。
彼が、新聞では名前が伏せられていた『男子学生』だということに。
「あやめ」
毘忌尼の呼び掛けに伏せていた顔を上げる。
心なしか、いつもよりも毘忌尼の声が優しい気がした。
「詳しくは分からないけどね。あんまり自分を責めたらダメよ。特にあんたは普段から優しいから…きっと幸せを逃すタイプね」
「そんなこと…ありません…っ」
わざと大声で笑う毘忌尼を見て思わず涙が零れた。
秘密ばかりの自分が情けなくて何も言えない。
優しいのは自分じゃない。
優しくて幸せを逃したのは、彼の方。
「あらあら。あやめの泣き顔を見るなんていつ以来かしら」
実母のキミ子より愛情を持った優しい手で抱きしめられ、途切れ途切れだった筈の涙が次々と溢れてきた。
「今日の修行はいいわ。天気も良いし、ゆっくり休みなさい」
いつもの豪快な笑いではなく、大人の余裕を感じられる笑みを浮かべながら毘忌尼はあやめの頭を撫でる。
あやめは首を縦に振ると、自室へと歩を進めた。
扉を開けて自室に戻ると、毘忌尼と話していたとき以上に気持ちが沈んでしまった。
ひとつ溜め息を吐き、何気なく机の上を見ると写真が目に入った。
屈託なく笑う成歩堂と、その隣で笑う自分の写真。
彼に初めて会ったその日に撮ったそれは、今では考えられないほど幸せな時間を写していた。
彼の優しさに気付かず、姉のために動いていたとき。
そんなときでさえ、成歩堂の優しさは心地良かった。
「リュウちゃん…。…お姉さま」
ウラギリモノ。
呼び掛けた瞬間に、耳の奥でちなみが冷たく言い放った気がした。
それも当然と思う反面、未だに彼の優しさを求めている自分がいる。
…もう彼の中に、美柳ちなみすら居ないだろうに。
「どうすればいいの……?」
どうしようもない。
そんなことは分かっているのに。
口に出しても惨めになるだけのその言葉は、宙に浮いて救いの手を探し続けている。
ただ事実としてあるのは、あやめが成歩堂と過ごした時間と嘘のない気持ち。
それを捨てようとは思わない。
ただ、自分のために、彼のために。
もう二度と姿を現すことはしないと誓った。
(2007.05.22)